今はiPhoneがある。しかしあの時代にはない。
スパイ映画のように王の眼窩(がんか)にカメラ内蔵義眼を入れたわけでもない。
【解剖】 the eye socket
the orbit (of the eye).
http://ejje.weblio.jp/眼窩
写真やテレビが発明される前の時代。鏡を使ったのだろう。
観察する自分を観察する為に。
鏡の使い方を調べながら、
動くとはなにか。対象とはなにか。相対性とはなにか。
に、迫ろう。
マイケルソンとモーリーも、
アインシュタインも、
ローレンツ変換のローレンツも、
なにを見逃したのだろう。
立方体と球体、正方形と円(サークル)を
同じものと見做した数学体系を創りだしたポアンカレ。
角の数より、物体にある穴の数を気にしたトポロジー。
ユークリッド幾何学や非ユークリッド幾何学に公理があるように、
イメージの世界にも手続きを導入しよう。
まずは用語、ジャーゴンを意味不明な新奇創生語から、共通理解可能な単語にする為に補足説明をする。
視座と視線と視点(注視点)。
a viewpoint 俺解釈:覗き穴
a standpoint 俺解釈:立ち位置
http://ejje.weblio.jp/視座
視線に関しては英語との対応がわからないので省く。
俺解釈: 視座と注視点を結ぶ線
http://ejje.weblio.jp/視線
point of sight 俺解釈:見ている範囲のある点。見えている範囲の。
center of sight 俺解釈:見ている範囲の中心。見えている範囲の。
http://ejje.weblio.jp/視点
注視点:
fixation point,fixating point
http://ejje.weblio.jp/注視点
http://ejje.weblio.jp/content/fixation
視点(してん)という言葉は、通常異なった2つの意味で用いられる。1つはどこから見ているかという、対象を見るときの立脚点のことであり、もう1つはどこを見ているかという、注視点のことである
https://ja.wikipedia.org/wiki/視点
英語でも視座を視点と呼んでいるようだ。
〈観点〉 a point of view; a viewpoint
http://ejje.weblio.jp/視点
なぜ、このように混乱するのであろうか。
見ているものが、見られている。
宮殿の豪華な応接間に通される。
壁に掛けられてる額縁内の人物絵や、
壁に飾られてる猛獣、豹かな、豹の頭部。熊でもいいし、お好きなのを。
絵内の顔面や、狩猟された動物頭部には面積がある。
だが、その眼孔に注目すると、点的な穴。
その瞬間、覗かれてる、に。
フロイト的な、壁(table)の穴から突出したものが、部分であると認識されるかどうかというエロ動画のも思い出したが、それは動物頭部という部分で代理させ、それ以上のは、ここは物理なのでやめておく。
ただ、狩猟で得た動物の屍骸は、頭部だけとか、頭部と毛皮だけ残して床にとかで、
全体はそこにはないが、動物身体の全体というものが想定される。
狩猟された1個体のかつてあった全体性身体や、その種としての個体イメージ。
唯名論とか実在論。普遍とはなにかとかいう、ようわからんもの。
昔は対象はなんであるかの論争であったようだが、いまは対象認知がなんであるかも入ってくる。
ま、そういうことはどうでもいいんで、単純トリックが公知になって、
電磁現象の相対性概念が認知されてからの、哲学分野の騒動は楽しみに待つとして、
原子はあるのだろうか。走査電子顕微鏡によるAu原子が並んだ写真を見たこともあるし、原子1個を動かすこともできる記事は読んだこともある。
原子の存在、クォークの存在は、操作手段の網越しに確認されているに過ぎないので、闇の中で幽霊に触れたようなもの。
こういう話は、単純トリックが公知になってからする。俺がするわけじゃないが、空間的存在の扱いが、量子力学のこれまでの知見や情報から、変わろうとしている。
ものを見ているつもりが、ものに覗かれ遊ばれているという、西洋哲学のエッセンスを、
俺はハインリッヒ=ロムバッハ 世界と反世界―ヘルメス智の哲学 http://amzn.to/1Rfm7f4
から知った。
ハインリッヒ=ロムバッハの駒である俺が、その一番簡単なところを、アインシュタインの提唱に従って、紹介している。
まず、簾(すだれ)を考えてみよう。
通りと部屋の明るさ違いで、家屋の中が見えない。
カーテンなら昼間と夜の違いでシルエット。
そっちの方の話じゃなくて、通りのヒトから簾までの距離と、
部屋の中にいるヒトから簾までの距離。
簾の隙間と視座が作り出す視野角。
なんとなく、線路上を動いている列車内のヒトと、丘の上から線路を動かないものとしている見ているヒトのような相対性。いろいろ細かいとこは違うけど。
丘の上からじゃなくて、通過列車をローカル線の駅で停車待ちしてる列車のヒトにしたら、もっと相対的かな。
もっと一般化すれば、上り列車と下り列車と線路。
上り列車に乗ってるヒトも、下り列車に乗ってるヒトも、いまこの瞬間に自分がどこにいるか知ってるけど、
速度は知らない。瞬間の速度はピトー管のようなもんで換算すれば知ることができるけど、
換算そのものは、どのように決めたのかという話になると、さあ知らない。
だから微分の曲線への接線角度からじゃなく、
経過時間を使って、速度を知ることにする。
時計を使うけど、自分がいる系以外の時間の進み具合は違うかもしれないので、
自分が手元に持ってる時計と、自分と同じ系にいる互いに動かない相対性を保ってる時計だけを同期して信じることにする。
一定時間に枕木何個通過したかを速度とする。枕木は数直線上の点のように稠密な個数を用意する。
通過した枕木の個数を数える自分の大きさを、取り敢えず、点とする。
自分が乗ってる列車の車両には長さがある。
自分が乗ってる列車の前後に、連結されてる車両がある。
具体的な新幹線の連結車両数、東海道新幹線とJR西日本区間は16両編成。
でもここでは、無限個連結列車編成。
1車両の座席数も有限個だけど、これも数直線上の点のように稠密な個数を用意する。
数直線上の点を枕木や座席と同じものとするのは、頭の中での思考実験用意だけど、
実験物理学では、列車も線路も自分の代理をするカメラアイも、原子複数の塊でできている。
原子ってのは大きさがある。動いてるとき、どうなるか知らない。
対象そのもののことだったら、風圧で列車を構成する原子群の隙間が縮む可能性もあるけど、そういう話ではない。
原子が動いてるかどうかは、観察者がなにかと比べて、原子が動いてるかどうかを述べるわけだが、たいてい、背景と比べてだ。
列車原子群と線路原子群の相対速度を、カメラを構成する原子群が確認する。
古典力学では、カメラアイに電磁現象の情報が入るまでの過程、奥行き空間を無視してた。
存在を手続きなしで扱えたのが古典力学。電磁現象では、光子群がカメラアイに辿り着くまでのことも考えて、相対性概念を組み上げる。
スタープラチナとは、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」第3部「スターダストクルセイダース」の主人公・空条承太郎の持つスタンドの名称である。(略)
これらの高い基本能力に加えて、第3部クライマックスにおけるDIOとの最終決戦においてDIOのザ・ワールドと同じ「時を止める」能力に目覚めた。
http://dic.nicovideo.jp/a/スタープラチナ
漫画やアニメに出てくる、時を止める能力。時は止まってるんだけど、なぜか主人公達は動ける。
3次元ソフトで、建物の立体構造を、視座を移動させて見るような感じ。
でも、情報をもたらす光子も止まっている世界。時を止めた主人公達も、この止まった時空間の中で動いていない場合、光子が網膜にぶつからない。
情報をもたらす光子というのは、物体表面で発光したか反射したもの。
物体表面から直線的に光速で離れたものとする。
ヒトの大きさを点としてたのを、止まった時空間の空間の大きさにしてみよう。
どこもかしこも、あちこち、自分だ。自分を包む皮膚のどの部分も、その原子も同時に存在していると、日常じゃ思ってる。それと同じ。
数学者と同じように、超越的に空間情報を瞬時に無時間で入手可能な気分。
これが古典力学。
311の前、筑波の高エネルギー加速器研究機構(KEK)、一般公開に行った。
https://www.kek.jp/ja/PublicRelations/Events/Openhouse/
タンパク質の立体構造を調べるのに、電子かなんかをぶつける。
タンパク質にぶつかった後、電子が散乱する。
ぶつかったじゃなくて、タンパク質を構成する原子群によって軌道を変えられたが正確な表現かな。
タンパク質1つを標本として電子をぶつけたわけじゃなく、
精製して同一のタンパク質だけを集めた標本だと思うけど、
なにせ、タンパク質1つだけを標本として射的対象にするのは技術的に不可能だと思うから、
タンパク質の集まりに電子をぶつけて、その散乱から、タンパク質の構造を見つけてるんだと思う。
タンパク質の分子量は数千から数億。
https://ja.wikipedia.org/wiki/タンパク質
素粒子をぶっ壊したらどうなるかの正面衝突実験じゃ、
たぶん、ぶつかったものだけに注目して、その散乱を調べる。
正確には、散乱した痕跡を調べる。
標本に電子かなんかをぶつけて、簾を通過した光子がそのあと、どっかのスクリーンにぶつかるよなもの。
簾というか、窓格子。鉄格子。
画像検索: 窓格子 伝統 デザイン
2重スリットの実験を思い出してもらいたい。平行な平面のイメージ。
2重スリット実験 画像検索 |
精製した特定タンパク質だけで作った薄膜標本を網戸や簾(すだれ)に葦簀(よしず)に見立てて、たくさんの電子を通過させる。
やってることは2重スリット実験と同じ。
タンパク質薄膜標本の原子配置立体構造で、電子の軌道が変わる。
スクリーンに電子がぶつかって、その痕跡からタンパク質の立体構造を推測する。
αタンパク質の集合体は菱形平面配列。
βタンパク質の集合体は円形平面配列。
隙間が四角形ぽいのと三角形ぽいの。の違いが、通過した電子の軌道角度の違いを生じさせる。
(この説明はイメージです。)
若手研究者の方に質問したんだ。電子がタンパク質標本によって軌道角度を変えられた後、
軌道方向によって、スクリーンまでの距離が異なってしまって、これじゃ像が歪むんじゃないの?
そしたら、昔は、初期の頃は、半球内壁面にスクリーンを貼っていたこともあったって。
ま、誤差に隠れてしまう程度の歪だったらしく、スクリーンは平面になったんだって。
使い易いからね。平面の方が。
空間が見えない2重スリットの連続だったら、標本からスクリーン迄の空間距離差が結果に影響を与える気もする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パスカルの三角形
「進撃の巨人」の舞台モデル。ネルトリンゲン。
ネルトリンゲン |
ヨーロッパじゃ教会を中心に街を作る。
軍隊だって、待機状態なら
方円(ほうえん)
大将を中心として円を描くように兵で囲む陣形。全方位からの敵の奇襲に対処できる防御的な陣形。移動には適しておらず迎え撃つ形となる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/陣形
進行方向を持たない場合。
植物プランクトンだとどうなんだろう。増殖の進行方向というのもあるから、単細胞で連結線状とか。
多細胞植物とかなると、日光の利用効率とか、他植物との競合に、植物を食べる生物の関係で形が決まるんだろうが、
ウイルスだと、丸っこいのと線状のだと、どういう利得から形が成立したんだろ。
星形要塞(Star fort)は初期火砲時代の要塞の形として一般的なモノだよ。
イタリアで発明されて、伝統的な城塞の終焉にも繋がってる。星形要塞は
防御砲火の届く範囲を最大化することで死角(blind zone)をなくせるんだ
http://blog.livedoor.jp/kaigai_no/archives/45682909.html
一方チャイナでは、四角形型の城塞都市。時代によって武器が変わるからもあるだろうけど、
ラウンドアバウト環状交差点 が、自動車の使用が歴史的に早く、電気信号機がまだ存在しなくて、平地に余裕がある地域で使われているんだと思うけど、
円と接線だと、円の方が接点に戦力集中できないから、四角形の直線的辺、線分戦場形成。
東西南北に4大将を布陣して、軍事的なことは任せて、王は、碁盤の目。格子状の方が、内政の管理がし易いのもあるかもしれない。エクセルの行列。直交するx軸とy軸。
ちょい無理矢理だけど、正方と円が出てきた。
映画館のスクリーンは長方形。ヒトの目は、2つあるから、その視野を見続けるのに楽な感じかな。
でも、視座からスクリーン各点までの距離がバラバラ。
スクリーン各点が同時に赤になったり青になっても、
視座では、すべてが同時に赤色に見えたり青色に見えたりしない。
ところがプラネタリウムドーム半球内壁面に貼られた液晶素子群が同時に発光したのを、
ドーム底面中央に居れば、同時に色が変わるのを味わえる。
直線状の線路上を走る列車。止まっている列車でさえ、横姿には長さがある。
列車長さを視野内に収める局所点からの眺めが、3次元空間では、同時の光景を見ることが、そもそも不可能。
それなのに、数直線上に列車横姿を描き直すと、列車のどの部分も同時に見える気になる。
視線距離が情報遅延に比例する3次元空間の情報摂取事情を全く考慮していない数直線や、xy平面という奥行きなしで思考実験していたアインシュタイン。
根本的には、ローレンツ変換のローレンツなんだけど、
マグリット ある 聖人 の 回想 |
数直線を曲げて、複素平面の単位円。その半円円周にしちゃおうじゃないかということ。
視座を複素平面の原点に置く。
xy平面座標なら、円筒にして、局所点を走査線に換えちゃおうということ。
円筒の中心軸を走査線にする。局所点が直線に化けるけど、
もちろん、具体的な手続き説明は後でする。
いままで空間的に、距離で離れていたところを、何時間で行けるとことか、何時間でここまで来たとこという表現にし直す。
東京から京都や博多までの鉄道営業距離は知らないけど、掛かる時間はだいたい知ってる。
新幹線の乗車時間。
光で見えたものは、いま見たものと日常では処理するけど、
いま見た太陽は8分前のだし、オリオン座のベテルギウスは、すでに超新星爆発してるかもの存在。
星々だと、知識を使って、その映像イメージは過去のものだとする。
それなら、座標に描く列車横姿だって、線路だって、同時刻の過去映像イメージ扱いしちゃおう。
ただし、現地で、事象発生場所近くで、リアルタイム撮影された写真が、電波信号で送られてきたとする。
現地といったけど、列車最後尾の車掌さんの現地もあれば、列車先頭の運転手さん現地もある。
それと同じように、情報を集める場所を、局所点から、線分や直線にすることもできる。
四方の壁を任せた4将軍に、各担当城壁線分情報、城壁上部に並んだ兵士達。
兵士達は線分各点の今を味わう。それを4将軍が情報摂取して、これには情報が集まる迄の時間がかかるけど、同時の光景を地図にできる。
その報告書を王に送る。さらに情報遅延するけど。
もちろん全兵士から直接、王に最短距離で情報を送ることもできる。
膝をコツンと叩く脚気の検査で、脳を使わなくても、脚が反応するみたいなのが4将軍。
座標に地図を作る時、組織の階層概念が入ってくるのが、
電磁現象の相対性概念を扱うときに必要になる。
電波信号はモールス信号みたいな音の連なり。
インターネットだってそうだよね。写真は静止画像なのに、解像度が凄ければ、ファイルの大きさが大きくなって、情報が溜まるまでの時間も必要になる。
2地点間の距離による時間的遅延だけじゃなく、情報量の大きさが、遅延の原因になる。
周波数高くして、短い時間幅で大量情報というのもあるけど、これは今関係ない。
1次元の数直線の対角線みたいなものは、単位長さ1。
2次元のxy平面の対角線は、単位長さ√2。
王様と王妃様で話したように、男女では周辺視野、視野角能力が違ったりする。
視野角が同じで、長さ違いのものを見るには、奥行き、対象長さを視野内に入れるための、
線分を包含する平面までの垂線距離、奥行き度を変えなきゃならない。
情報遅延度が、変更されているのも補正しなきゃだ。
1次元空間と2次元空間では、情報量が違う。この補正もいる。
写真映像はあちこちの方向から一瞬だけど、カメラアイにとってはね。
音だって、あちこちの方向からのものが同時に身体を揺らすけど、
写真映像をデジタル情報にして、電気信号にしたものを受信する場合、
将軍から近くにいる兵士の情報と、将軍から遠くにいる兵士の情報は、新鮮度が違う。
同期した時刻で情報を、現場時刻で同期した情報まとめるには、もっとも遅いものに合わせる必要がある。
もちろん現場指揮官である将軍は、完全情報を作りあげることより、
不完全な情報集まり段階でも、拙速の判断を優先したりするけど、
いまは、物理の電磁現象の地図作りなので、有限範囲で実験系を作って、有限範囲の完全情報を待とう。
なかなか本題に入らないな。
数直線や写真は映像的であり、パッと瞬間的に見えたイメージが、いまの自分と同時の現象だと思い込む。でも、自分から空間的に離れた現象として認知してる。それを時間的にも離れた現象であったと、過去位置からの情報であること、強く意識化しよう。
一方、音だと、音源の位置なんてことは考えないで、もちろん知識として発声をしたものが空間的にどこにいるのかを求めれば、その発声は過去のものとなり、距離間もでるけど、普通はいま一緒という感じ。
音を感じるのは自分で、光を発生させたり反射したのは自分じゃないどこか。
光を感じるのも自分だろうけど、背景に包まれた対象に意識が逝っちまう。
マーシャル・マクルーハンじゃないけど、音声というのは映像と違って身近な感じ。
メディアによって、ホットだクールだの影響。思考の視野狭窄をもたらす。
音源を求めたりすれば、ローレライになるかな。
整形後の主人公の顔がジャン・ポール・ベルモンドの「コブラ」寺沢 武一だと、
出てくるお姉ちゃんは、日本人がイメージするエロい白人系女性。
その
第21話 「二人のソード王」
バベル王の念力により視覚と聴覚を入れ替えられてしまったのだ。つまり目に見えていた物が音として聞こえ、音として聞いていた物が目に見えるという状況に置き換えられてしまった。そのこれまでに体験したことのない感覚世界でコブラは苦戦、バベル王に一方的にやられるかに見えたがやがてコブラは視覚や聴覚に頼らず他の感覚をフルに活かして「気配」を掴む事を思い出す。そして自分の感覚に逆らわず気配がした方へサイコガンをぶっ放すと、そこで顔面部分に穴が空いたバベル王が倒れて感覚世界も元に戻るという戦いだった。
http://haijima-yuki.com/old_anime/cobra/cobra_kanso_3.html
これはラーメン屋で、週刊漫画雑誌で読んだんだっけかな。アニメより前に。
俺は週刊漫画雑誌を読む習慣なかったので、漫画は一時期、渋谷LOFTの地下、漫画茶房というところで毎晩9時間くらいのナイトパックで読み続けた時期もあった。
COBRA THE ANIMATION 第1話
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=fO89yhBalEE#t=207
さて、平面に描かれたキャンバスの絵と、平面な鏡面に映る像の違いはなんだろう。
宮殿の応接間に話を戻して、考えよう。
応接間の椅子に座って、壁に掛けられた額縁内の人物像を見ている。
顔面とかの有限範囲、面積を見ているときは、壁と同じ平面に視線の先端が降りて、視点が壁平面の額縁枠内の面を触れ回ってるみたい。
視線だけど、腕を伸ばして、指先で面を感じてる感じ。
ところが点的な眼窩を視線が貫くと、壁の向こうの空間が思い起こされる。
ベラスケスのラス・メニーナスにも、開放された扉の向こうに部屋が見えてたね。
ちょうど扉のとこに、人物が立っていたけど。
解像度が悪かったから、同じ壁面にある鏡の内側の夫妻は、まるで絵みたいだった。
鏡だったら、13:50表示してるiPod液晶画面裏の薄青緑の擦り切れたiPod保護カバーが、鏡面の奥に見える。洗面所に立った、生身の人物の眼には。
この写真だと、鏡面表面の汚れに気が付かないけど、
鏡面は、透明な薄ガラス壁みたいなもんだ。
ショーウィンドウのガラス壁面。
その向こうの部屋にマネキン人形。
ガラス壁面の奥行き方向、向こうに、
擦り切れたiPod保護カバーが見える感じ。
絵は壁平面と同じ奥行き度だけど、
鏡面に映ったものは、生身の視座からだと、ショーウィンドウの向こうに空間があるのと同じ感じ。
壁にある額縁内に描かれた人物像の眼窩、瞳でもいい。点的な瞳。円の穴に注目してしまうと、壁を突き抜ける視線。
そのとき被害妄想的だと、壁の向こうの人が、今、穴からこちらを覗いていると、
緑人型が壁にくっついて、こちらを覗き込んでるイメージ。
単なる推測妄想イメージだと、隣の部屋にも自分と同じようなのが居て、
椅子に座って壁を見ているんだろうなの、赤人型イメージ。
1つや2つの点的穴だと、壁の裏で、その穴に眼球を近付けてこちらを覗いてる緑人型位置の人を妄想的に想像するけど、
アラベスク 幾何模様だと、どこに覗き穴の本物が隠されてるのかわからない感じ。
画像検索: アラベスク
知ってる?「すだれ」と「よしず」の使い分け
http://allabout.co.jp/gm/gc/178036/
壁の穴をアラベスク模様に隠すじゃなくて、
「すだれ」と「よしず」、窓格子に円柱の鉄格子だと、ショーウィンドウのガラス平面の位置を意識させるんで、覗くというより、部屋の外の世界という感じ。部屋の中の人からは。
それでも同じ空間世界という感じで、半導体みたいな感じ。電気が流れる流れないじゃなくて、分離と一体の中間のような感じ。
通りの人からも、日本じゃ衝立とか屏風での間仕切りで、別の部屋と見立てるようなもので、
この場合は、被害妄想的な覗かれはない。部屋の中から見られてるはあるかもだけど。
警察の取り調べ室のマジックミラーみたいなもの。
現代人じゃなくて、警察ものドラマも見ない人だったら、鏡としか思わないかもしれないけど、
取調室の鏡は、マジックミラーに決まってるじゃないか。というのは決まり事。
ダイオードみたい。
ダイオード(英語:diode)は整流作用(電流を一定方向にしか流さない作用)を持つ電子素子である。最初のダイオードは2極真空管で、後に半導体素子である半導体ダイオードが開発された。今日では単にダイオードと言えば、通常、半導体ダイオードを指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダイオード
ベラスケスの鏡の見方の説明するまでに、周辺情報をダイジェストで紹介してきたけど、
鏡でもガラス板でも、扉が開放されて、扉のあった痕跡の枠となった奥の部屋への通り道でもいいけど、そいういうのは厚みを意識しないよね。
Magritte et les fenêtres |
Magritte et les fenêtres…
http://serplaste-leblog.fr/2012/01/magritte-et-les-fenetres/
想定される平面。枠があれば、そこに無限に薄い平面(曲率なし)を思い浮かべた場合の、
ちょっとずつの印象の違いなんて、説明しきれないから、マグリットの絵の数々におまかせして、
夜中に天空を見渡すと、半球ドームな感じ。
半球ドーム内壁面(曲率あり)に星々がひっ付いて輝いている。
それでもオリオン座の枠4つの星々に注目した後だと、三ツ星は額縁平面(曲率なし)、に描かれたように見える。
知識では、星々は地球からバラバラの距離にあるから、
自分から天球天井までの等距離にいるわけでもない。
でもこのとき、丸みのある天球天井をイメージすると、自分の観察位置が球の中心にあることが予想予感される。包まれてる感じ。
一方、奥行きを意識しないで、オリオン座4つ枠星を4つ角(かど)にした額縁平面に三ツ星を見るときは、自分の存在、3次元的空間内の観察位置を意識しない。xy座標面に己の存在はない。
と、ここまでは、俺の昔のブログで何度も説明したりしてた。
で、こっから先、少しは昔にも書いたかものが、
想定平面(曲率ある・なし)に厚みがある場合。これを鏡の説明に入る前にしておこう。
と、思ったんだけど、想定平面の厚みは、もろに量子力学の話になるので捨てて、
これだけ覚えておいてもらいたい。
鏡を片目で見る。その片目を鏡面に見るとき、鏡面と正対していないと、鏡を見ている片目が、鏡に映らない。
入射角と反射角が同じ90度、鏡面への垂線が視線方向でないと、観察している片目で、その片目を観察できない。
ベラスケスは、自分の姿を鏡に見ているから、鏡に正対している。
ベラスケスは、女の子を鏡に見ているから、女の子表面を旅立った光子群が鏡面にぶつかるときの入射角と、鏡面から旅立つときの反射角が同じ。
ベラスケスには、女の子姿は鏡表面光子群反射位置に見えるのではなく、鏡面のもっと奥行き斜め向こうに見える。
ベラスケスと女の子を結ぶ線分を延長した直線を、鏡面と平行とする。
この直線を含む平面が鏡面と平行とする。
ベラスケスと女の子は、3次元立体構造を持つけど、面倒なんで、いまは凸凹のない平面存在とする。
http://akibamap.info/archives/51236112.html |
デカルトの天井平面を鏡面にし、デカルトのベッド平面をベラスケスと女の子の平面存在にする。
デカルトがベッド平面の「ど根性カエル」の平面カエルになった。
ベラスケスと幼いマルガリータは、観光地の記念撮影パネルから顔だして、平面次元人になった。
写真だと、鏡面と違って、写真表面にベラスケスとマルガリータがいるようで、
写真を額縁に入れて壁に掛けたら、壁平面と同じ平面にベラスケスと女の子の像が見える。
しかし鏡だと、鏡を見ているものには、鏡面の向こうに自分の姿と女の子が見える。
ベラスケスの左眼をベラスケスに見立てて、
ベラスケスの右目蓋を閉じて、鏡を見る。
マルガリータを右目蓋に見立てる。
ベラスケスにとって、右に女の子がいる。
王様にとって、左に王妃がいる。
ベラスケスも、王様も自分の姿を鏡に見ている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ Las Meninas
ベラスケスの見ている鏡が、王様の立ち位置にあると、ちょいまずい。
王様の眼窩に仕込んだカメラ内蔵義眼なら、その点位置で構わないが、
鏡は点ではなく有限面積。そして、鏡面の奥に自分姿を見てしまうから、
鏡に映ってる自分姿と鏡面の奥行距離が2倍になってる。
壁絵の点的眼窩を見て、見られている妄想。
被害妄想的だと、壁絵の真裏すぐのところに眼球を近付けての誰かが覗いている。
これ義眼カメラ位置だ。
推測妄想的だと、壁絵というより、壁絵のある壁の裏にも、自分が通された応接間と同じような部屋があって、自分と同じような距離で壁に向かって座ってる誰かが壁を見ている。
自分は、壁絵に描かれた顔面の眼窩を貫いて、壁向こうの部屋を妄想してるけど、
壁向こうの部屋の椅子に座った人物は、壁を見ている。
完全な相対性じゃないよね。
壁向こうの部屋にも壁絵があって、描かれた人物顔面の眼窩を見て、妄想視線が眼窩貫いてるなら、完全な相対性だ。
この壁向こうの部屋で、椅子に座ってる人物の眼を視座にすれば、
王様の視座にしよう。
ベラスケスと王様を隔ている壁を、ハーフミラーにしよう。
http://www.eonet.ne.jp/~mankin/art/tokyou.html
点的なiPhoneカメラアイを王様の片目に見立てたり、王様の眼窩にカメラ内蔵義眼を仕込んだのは、
映像が網膜という狭い点的範囲に集まったのを、ほとんど瞬間的に脳が拡大してキャンバススクリーンや液晶画面に拡大してる。
壁をハーフミラーに見立てたのと、なんか似てるような似てないような。
ま、細かい成分はいろいろ違うかもしれないけど、なんとなくいろいろなことが絡んでることがわかれば十分。
俺にとっては、奥行き距離に関することと、左眼で、閉じた右目蓋を鏡で見るとどうなるかだけが必要なんで。
動画観察を
その前に、ペンギンさん。
古典物理学では、ニュートンもかな。ハーフミラーでの反射は、ミラー表面で反射してると簡単に考えてる。
だから、模式図では平面や、横姿なら線分を描いて、入射角と反射角が同じとしてる。鏡の厚さやガラスの厚さを捨象してる。
でも、鏡面という、頭の中の数学的イメージ捨てて、鏡はたくさんの原子の集まりによってできていることを意識すると、鏡とかガラスの厚さが、反射に関係してくるらしい。
ニュートンのゆりかご |
鏡面やガラス表面で反射していると言えなくなる。
だから、ベラスケスの右眼から鏡面までの奥行距離が厳密に言えないんだけど、
いまは特殊相対性理論のトリック解明なんで、古典物理学の範囲だけでやる。
想定平面の厚みのことは無視する。
想定平面というのは、窓に、窓枠内にガラス板が嵌っていないのに、あたかも無限に薄いガラス板があるようなこと。
夜空を見上げると、星々が同じ平面なり天井ドーム内壁面にくっ付いて見えること。
地上から、飛行機を見続ける相対性では、視線距離が時々刻々と変わってしまう。
対象である旅客機を地上から見上げる観察者にとっての奥行き距離が変化してしまう。
光速が有限速度を持つ世界では、情報遅延度の変化は補正しなきゃだ。
そうだ。月を見よう。月の地球グルグル。
月を見上げる僕は、月に見られてる。
ペンギンさん、よろしく。
目次に戻って、次のページにどうぞ。
http://zionadtrick.blogspot.jp/2015/09/mokuji.html
以下、捨て。
想定平面の厚みに関しては、現段階でやることでないのがわかったので、捨て。
R.P. ファインマン の 光と物質のふしぎな理論―私の量子電磁力学 http://amzn.to/1Vryh54
2重スリット実験の模式図。スリットを含む平面位置は示されても、スリットの厚みがわからない。ただ線でスリットの側面姿が表されてるだけ。
スリットは原子1個分の厚さでできた壁に縦スリットが2本開いているものなのか、
原子2個分の厚さでできた壁なのか。記されていない。
光子がどっちのスリットを通ったかとか、実験結果から、光子は日常にあるボールのような存在じゃないんだ。とか、言ってるけど、その前の問題。
壁の厚み。ガラス板なら、ガラス板の厚み。
アインシュタインの思考実験が、観察者の立ち位置と、線路を含む衝立平面までの奥行きを無視したように、
2重スリットの実験も、厚みを無視してるね。
鏡には光を100%透過するガラス板の入っていない窓枠。厚みなし。
光を一方向から、ほとんど100%透過させないマジックミラーがある。塗布面の厚みあり。
マイケルソンとモーリーが実験に使ったのはハーフミラーだった。
google: 量子力学の爆弾検査 でも、ハーフミラーが使われる。
2重スリットの実験だと、放たれる光子にとっては、厚みってのは、進行方向奥行きになる。
模式図じゃ、原子の厚みが意識されないで、記号的な厚みのない衝立にスリットがあるだけ。
思考実験の模式図では、量子力学爆弾検査の経路も、
マイケルソンとモーリーが、ハーフミラーで分割した光子群の流れ経路も、
テーブルのどこも同時刻と誰が見做したのか不明なだったり、
テーブル各部はどこも同時刻だと手続きなしでxy平面に描かれてるけど、
経路を進む光子にとっては、3時間後に京都だ、6時間後に博多だのであって、
実験テーブル表面の同時刻俯瞰姿を見下ろしたり、正面に見たことがない。
実験模式図を地図のように俯瞰して見ていた古典物理学者も、
量子理論の研究者達も、なんの手続きもしないで、
実験テーブルの各所が、同時刻に存在してるを前提に、
そこを3時間後、6時間後、光子が通過すると思い込んでいる。
ちょいわかりにくいから、この結論のとこのは、鏡の使い方を知ってから、わかればいいんで飛ばしてもらって、鏡を結果収集面のスクリーン扱いするとどうなるかの前に、
もうちょっと、鏡の厚みのことを事前に説明したい。
実物の鏡はガラス板裏に
現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属を蒸着したものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鏡
で、普通のガラス板も、透過だけなく反射もしてる。
iPadの液晶面保護してるガラスかな、や、液晶面保護フィルムも光を100%透過じゃなく、光を一部反射させている。
透過や反射だけでなく減衰もあるだろうけど、厚みが増すと、海の底が見えなくなったりは捨象。
電源切った状態のiPad液晶画面に、顔が映ったりするからね。
窓ガラスだって、そう。
光はガラス表面で反射すると簡易的に絵図を描いているけど、
反射率がガラスの厚みに関係している話がファインマンの本に出てくる。
ガラスの厚みを徐々に増していくと、反射率が周期的に上昇したり下降したりする。
ガラス表面という記号的処理されたイメージを捨てて、
厚みのあるガラスは、なんであるか考えてみよう。
厚みが0のガラス板は、ガラスが入っていない窓枠みたいなもの。
では、厚みのあるガラス板はなんだろう。
実際に存在するガラス板は、原子の集まりでできている。
光子がガラス板を透過したり反射したりするのは、
光子進行方向にあるガラス板を構成する原子群があるから。
ガラス板の厚みというのは、光子進行方向、直線方向にある原子の数に相当する。
これは普通に理解できるよね。進行方向に邪魔な原子がいくつもある。
原子核とか電子は、原子の大きさ空間に比べて小さいから、スカスカなんだけど、
それでも、光子にとって、進行方向正面にあれば邪魔。
原子ってのは存在だから、ド・ブロイの物質波ってので、自分の存在情報を周辺空間に気配として振り撒いているようなんだ。
ここは考え方を導入するためのもので、物理の説明としては、かなりいい加減。
2重スリットの実験で考えてみよう。
光子を発射する前に、スリットやスクリーンの存在情報が、光子の発射地点に来ているかもしれない。
ピッチャーがボールを投げる前に、投球動作が映像としてバッターに届いているみたいに。
あるいは、スリットを構成する原子群や、スクリーンを構成する原子群が存在することで、さざ波が光子発射地点に来ているかもしれない。
こういう情報が、空間を直線的に来ていると仮定する。
光子発射地点に、光子進行方向に存在する2つスリットがある厚みのある衝立や、光子がぶつかって分布状態を描くスクリーンがある。
光子発射地点をバッターボックスとすると、
バックネットからの野次馬の声だって、バッターボックスに影響を与えている。
スクリーンを外野席とすれば、外野席の観客達のわずかな動きでできたさざ波が、2つのスリット存在に影響されて、光子発射地点に干渉しているかもしれない。
光子が進む方向とは、逆方向からの相互干渉。
2重スリットじゃ、相対性っての、全く考えてねえのかよ。
おかしいよね。2重スリット実験で、発射された光子だけが動くものであると視野狭窄してる。
光子を発射する瞬間には、相互干渉しまくってるという事実を考察してない。
発射された光子が動いて観察される系だけ使ってる。
発射される光子の系も、スリットのある衝立やスクリーンの系も、両方動いて見える観察者を考慮していない。
或いは、発射された光子が止まって背景が動いてるように観察される系。
これら実験参加者である光子や、複数原子存在をxy平面に描いてるんだけど、
同時刻の地図を作るには、面倒な手続きがいることを、
いま、特殊相対性理論を成仏させる単純トリックを発見する過程で、すでに示している。
同時刻の地図を局所点の情報収集者から作り出す手続きなしで、いきなり、プロットできるとしてる。
光子発射地点や2つ縦スリットのある衝立や、スクリーン。
スクリーンだって平面的なものじゃなく、光子発射地点を球体中心とする、球体外郭にすると、
バスケットボールの表面ブヨブヨ、ドリブルして地面にぶつかる度に変型しての振動。
そういう感じで、単なるブラウン運動をしてるんじゃない、スクリーンの形による物質波が、光子発射地点に影響を及ぼしてるかもしれないことを考えていない。
ただただ、2つの縦穴を持つ衝立と光子に注目してるけど、
この衝立だって、原子核複数と電子複数の、存在としてはスカスカ。
なんで、穴が2つの縦穴スリットだけだと思うんだい。
そもそも、発射された光子が、衝立と相互作用をして、光子を吸収して、別のところから光子を発射してる可能性だってある。
光子はボールじゃない。
ここまでの説明は、原子の存在や、原子群の集合体であるスクリーンの形が、
まだ古典力学での存在認知の仕方で説明してるんで、
電磁現象の相対性概念のものじゃないんだけど、なんとなく量子力学も特殊相対性理論がしでかした、同じ視野狭窄をしているのがわかると思う。
注目の仕方が、動くものだけを餌と見做す、まるでカエルだ。
2重スリットの実験を天動説的にしか、見ていなかった。
発射された光子の気分になって、迫り来る2重スリットを眺めてみよう。
遠くからだと、光子が視野角90度の瞳を持っているとすると、
2重スリットの縦穴と縦穴の間にある幅が、簾のヨシの茎でいいのかな、
物質的な原子の密集してる幅を1とすると、左右スリット外側残りの視野に幅10000ぐらいの壁的な面が見えている。
面だけど、上下無視して、数直線が前方に見えるとする。
光子が段々2重スリットを含む数直線に近づくと、
スリットとスリットの幅1に対し、左右スリット外側残りが幅100ぐらいになる。比率の変化。
そもそも光子という局所点に対して、数直線が近付いてくると、
光子には、真正面に見える数直線部分の情報は新鮮で、真正面から離れた脇に見える部分の情報がより過去のものになる。
光子には、同時刻の過去地図を作る機能ないと思うので、
兵士が自分の位置で、シャッターを押して作った写真と同じ。
同時刻じゃないバラバラの現地事象時刻の集合体が、写真を作っていて、
この印象から、こっちの方が抜けやすいんじゃないかの心象を持つ。
光子を擬人化していいかはわからないが、
局所点の光子が感じる、線的な数直線が自分に向かってくる印象風景は、
2重スリット平面に光子がやってくる実験図を、俯瞰して見ている印象とはかなり違う。
相対性を考えるなら、2重スリット平面の原子1つに注目し、
そいつに、光子がやってくるのを実況させるか、
光子1つを発射した時、光子は2重スリット平面と同じように、
平面の1点に過ぎないととし、
光子を含む平面が、2重スリット平面に近付くをイメージしないと、
点と平面の異種間相対性イメージになってしまう。
これをこの段階でもっと説明しても埒が明かないので、
片目で鏡を見てみよう。片目で自分の姿、特に自分の片目を見る。
反射は、入射角と反射角が同じ。
鏡に正対しないと、自分の瞳を鏡に見ることができない。
キャンバスに描かれた絵と違って、鏡に見える己の姿は、鏡面の向こう。
自分から鏡面までの奥行き距離分、鏡の奥に自分の姿が見える。
しかし、閉じてる片目の方の目蓋に、右目蓋を閉じてることにしよう。
右目蓋の上に、右人指し指 Index finger を触れさせ、
鏡の奥に見える右目蓋に被さるようにを続けながら、Index fingerを鏡面に近付ける。
鏡面にIndex fingerが触れる。
そこから、Index fingerを開いている左眼に近付けよう。鏡に映る右目蓋に重なるように。
左眼にとって、右目蓋の映像情報は、この経路を使って届いたもの。
距離的には、鏡の奥に見える右目蓋から仮想的に届く経路長さと同じ。
右目蓋が光ったのを左眼が鏡からの反射で気付いて、頭で逆算して鏡の向こうに見える右目蓋の映像がどれだけ過去のものかわかる。
鏡面じゃなくて、無限に薄いガラスにして、向こうで、マネキンの右目蓋が光ったのを、こっちの己の左眼で確認しても、同じ情報遅延時間になる。
さて、鏡面に左眼を接する。見える範囲はない。
左眼の視野角は90度とする。
鏡面から1離れると鏡面横幅2見える感じ。直角二等辺三角形だから。
鏡面に平行で、左眼を収容する平面に己の肩がある。
面倒なんで、右肩と左肩を結ぶ線に平行な、左眼を通過する数直線をイメージする。
いま鏡面横幅2見えてるけど、この鏡面に、左眼を数直線の0とする、数直線がマイナス2からプラス2範囲が鏡に映って見える。
鏡面には、視野角の2倍長さの数直接横幅が見える。
鏡面の横幅が数直線のように無限性なら、この関係はどこまでも。
しかし鏡面の横幅が有限だと、左眼が鏡面からもっと離れると、
左眼視野角90度の底面の部分に鏡面横幅がなってしまう。
鏡面横幅は2と限定しよう。
鏡面横幅は、左眼視野角の80度分になってしまった。
もっと鏡面から離れると60度分に。
このとき、左眼を数直線の0とする数直線メジャーが、鏡面に映ってる長さは、
鏡面横幅の2長さと。鏡面左右端が入射光と反射光を同じとする反射点になるから、
鏡面横幅2が、左眼にとって60度視野角に収まるなら、左右半分ずつにして、片側30度。
左眼から30度方向左に鏡左端が見える。
鏡に反射する左眼地点から1長さ、鏡の左端が離れてるから、
その倍の長さの2が、左肩方向の数直線が鏡に映っている。
左眼を鏡左端に正対させる。
左眼から鏡右端が、鏡面で反射した情報の反射角経路。
左眼を数直線の0とする数直線は、鏡に0からプラス4の範囲で映ってる。
どうやら、左眼で鏡に映った左眼を見れるときは、鏡横幅2倍の左眼含む数直線範囲が鏡に見える。
自分の顔面を光子が光速でなぞったら、鏡面上を半分の長さだけなぞったことになる。
左眼基準で、観察時間を調べると、なんかややこしそうだ。
観察時間のことはベラスケスと女の子のキャッチボールでやるとして、
ベラスケスがキャッチャーになった気分で女の子を見ながらのと、
ベラスケスが、鏡に映った自分と女の子、鏡面というスクリーン観察しながらのを。
自分の唇を、左端から右端に、右人差し指でなぞると、
左眼は、鏡面でその動作を観察するんだけど、
鏡面上じゃ、入射角と反射角が同じだから、半分の長さしか移動してないことになる。
関係ないことやり過ぎたかな。直接関係ないこと。現段階では。
捨て。まだ早い。
では、xy平面に描かれた列車が、1秒に1単位速度、光速で右に進むとする。
その列車に搭載された光時計ないを下から上に光子が移動する。
xy平面までの奥行き0で観察者の眼を設置する。xy平面の原点Oに数学者の眼を置いた感じ。
1秒後、(x,y)=(1,1)に光子が着いたことになる。
光子は速度√2になって、なにか変。
原点Oで観察してみよう。
自分から離れた光子が1秒後、√2離れたとこに着いたハズ。
(x,y,t)=(1,1,1)から、√2秒掛かって映像情報が届くから、
実験開始から1+√2秒で、情報摂取完了。
今度は右眼で右眼を鏡で見よう。
捨て。
写真映像、xy平面の有限範囲は、カメラアイという3次元空間の点的な局所で集めた方向情報を、平面画面に拡げたもの。
捨て。
線路上を動いている横幅のある下り列車、線分を観察するのに、
線路と同じ系の観察者や、上り列車の観察者を点扱いしてたら、
線分と点の異種間の相対性になってしまう。
電磁現象の相対性を調べたいなら、点には点を、線分には線分を。
数直線的な無限には無限で、互いを観察しないと、
電磁現象の動きに関する相対性以外の成分が入ってしまう。
線路に立って、通過列車の通り過ぎる時間は、点と線分の関係。
自分が列車になった気分で通過列車を感じると、
すれ違い開始時刻は先頭運転席。すれ違い終了時刻は最後尾車掌さんになる。
相手列車最後尾が、こちら先頭運転席を通過して、こちら最後尾車掌さんに辿り着くまでの時間が加算される。
以下、捨て。
しかし、光子発射地点のヒトには、情報がやって来た方向はわかるけど、
情報を発信した地点までの距離や、それに要した経過時間は、わからない。
それなのに、光子発射地点とスリット壁とスクリーンをxy平面座標なり、3次元座標空間に、
まるで設計図のように、すべての原子の布置を知ってるかのように、xy平面や3次元空間に配置している。
いったい誰が、どこからその光景を見たんだい。
古典力学では数学者のように超越的に、原子複数を空間位置に
直線的線路の同時存在を確認するポイントが、3次元空間にはないことは述べた。
局所点には、あらゆる方向から光子群が入光してくるけど、現場事象発生時刻はバラバラのもの。
だから、時間を掛けて、各地の現場事象の同時刻性のものが集まるのを待つ。
例えば、1秒前の各地での事象映像を集めたものを、
局所点の自分から1秒離れたところを天球内壁面とイメージする。
情報が空間的に入光した方向に、今度は時間的に1秒離れたとこに
台形型の窓格子を説明する予定だったが、
想定平面の厚みの紹介で。
長々し過ぎるんで捨て。
「木虫籠の特徴的な台形の断面というのは、室内の暗さと外の明るさの間をちょうどうまく調和する機能を持っていると思います。長方形の状態だと、中から見た時に格子の内側が非常に暗い状態になって外の明るさとの間にすごいギャップがあります。そうすると人間の目っていうのは、暗いところにいると外の景色が白く飛んで見えて外の景色をハッキリ見ることができない。一方で木虫籠の台形の断面というのは断面の側面の部分に光が反射して中間的な明るさの部分ができる。それによって目が慣れて、外の景色が見やすくなる」
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